The Wind of Andalucia    〜 inherit love 〜

17. 受け継がれる想い





開け放たれた窓から、そよぐ風の音と、花の蜜を吸う蜜鳥のはばたき、
晴れた空を思わせるやわらかな日差しが差し込む。

王宮の自室で、数ヶ月ぶりの眠りは浅く、船上での眠りを懐かしく思う。

女であることを隠す必要のなくなったのクローゼットは、ライルからのプレゼントであろう
プリンセス用に用意されたドレスに埋め尽くされていた。
眉間に皺をよせ考え込み、白いドレスを手にとってみた。

初めて着た時の物より、ぐんと値の張るドレス。ライルの心遣いに感謝の念と、それ意外に胸中に渦巻く
理解し難い嫌悪感がある事に気が付き、どうしてだろうと、鏡にうつる全身を眺め、自分の心に問うてみるが
答えはみつけることが、出来なかった。

沈む心と浮き立つ心、二つを抱え、朝風呂を楽しむ。フレイヤ皇太后がにために自室に備えてくれた風呂。
祖母フレイヤを憐み決別し、今日から、私は王女として歩いていくんだと、心に決める。
自分で決めたのに、心が悲鳴をあげる。自らに、私の役目なんだからと、言い聞かせるように呟きながら、
心にふたをして、髪をくしけずる。鏡にうつる自分の瞳が、責めるように見つめ返してくる錯覚に、陥り
風呂の中に沈みこみ、独り涙する。永遠の闇の中に囚われたような感覚が、どうしようもなく淋しかった。

白いドレスに身を包み、赤い髪を乾かすために、窓辺に立つのもとに、藤の花の香りが届く。
晴れた空を眺め、藤の芳香に包まれながら思うこと。

     サンジに逢いたい…。逢いに行こう。

ただそれだけだった。

一番願うことはそれだけ、何故と問う心に答えはなく。手に小さな布包みを持ち、自室を後にした。

王宮内で働くものたちの感嘆の声に、軽く手を振って答えながら、馬小屋まで急ぐ。
白い愛馬ライラの茶色の眼が、を見つけ、嬉しげに輝きいななく。

「ライラ、私を覚えていてくれたんだね」

たてがみに手をかけ、ライラの首筋に顔をうずめ、匂いを楽しむ。懐かしい馬の匂いに、バルドーとの遠乗りが
思い出される。やさしく厳しく自分を見守り続けてくれたバルドー。胸元に入れた布包みにそっと手をはわせた。

「ライラ、悪いが、こんな姿だが、乗せてくれるか?」

元気にいななくライラの様子に、の顔はほころび、どんな姿であろうと受け入れてくれる友ライラに感謝した。

いつものように跨ってみるが、具合が悪い。なんてドレスは不便なんだと、悪態をつきながら、
なんとか様になる格好にドレスを直し、手綱を取り軽く引き、ライラと王宮を後にした。

ライラと共に走る爽快感。忘れていた馬の感触。アンダルシアの風がを包む。大好きだった馬との一体感。
しばし、自分のおかれている状況を忘れ、無邪気にバルドー館までの、遠乗りを楽しんだ。


     こうして、王宮をライラと逃げ出すたびに、自由になった気がした。

つたの絡まるバルドー館。門兵の驚いた顔に、ちょっと笑い、開門を頼む。

「まぁ!!様。そんな姿で馬なんて、まぁ!!」
マリアの、はしたないですよと咎める顔に、苦笑し、ライラに乗る為に脱いでいたサンダルに足を通す。

「みんなは、何処に?」

教えられた先に、クルーの姿があり、一瞬、心が沸き立つ。

     私はこの人たちがとても好きだ。

を見つけたクルーが、口々に、に朝の挨拶をしてくるが、肝心のサンジはいない。

「おはよう!!…サンジは?」

「サンジくん。バルドーの剣を取りに、秘密の通路に降りていっ…」
ナミの言葉を最後まで聞かずに、部屋を飛び出していくに、クルーは顔を見合わせ笑った。
クルーの誰もがのサンジに対する愛に、気がついていて、どういう結末を迎えるのか、案じていた。




「サンジ!!」
「…ちゃん」

サンジに逢いたい思いだけが、の心を占めていた。

     やっと逢えた。

戦闘終了後から抱えていたものが解き放たれ、の顔に笑みが浮かぶ。

森の中のキス以来、二人きりで時間を共有することのなかったことに、気がついていたサンジは、
を思わず抱き寄せてしまいそうになる心と格闘をする。

手を伸ばせば触れ合う距離、誰も邪魔するもののいない今、サンジにとっては絶好のチャンス。
しかし、これからののことを思えば思うほど、サンジの手は動かない。

二人の間に流れる雰囲気に気がついていないのか、戸惑いながら話す。

「あ、あの…バルドーの最後の言葉を、解き明かそうと思って…。サンジも、居て欲しいと、思った」

バルドーの苦痛に喘ぐ顔、バルドーの瞳にあった信念の輝き、守護役として託された思い、あの日の
色々な思い出がサンジの脳裏をよぎる。

     俺は、ちゃんを護ることが出来たか。おっさんよ。

「あぁ、礼拝堂っつってたな」
背に背負うバルドーのロングソードの重みが、サンジの肩にくい込み、答えを言ったかのように思えた。

触れるか触れないかの距離を保ち、礼拝堂までの道を歩く。
息苦しい重い雰囲気に、サンジに逢えて膨らみかけた心が、また沈む。
自室で決めた決意が思い出され、の心は見えない枷に縛られていく。

礼拝堂に立つ二人。ステンドグラスから差し込む日差し、色とりどりの柔らかな光の渦は、神聖な空間に
満ちていた。王国の神の像の台座の下にある隠し階段を、ゆっくりと進む。光ゴケのほのかな灯り。

「あっ」
つまづいたの手を、慌てて取るサンジ。
繋がれた手から流れ込むサンジの温もりが、冷えたの心に小さな灯りをともした。

言葉にできない思いを手から注ぐように、サンジの手はを支え離さずに、階段を降りきり
開けた空間に辿り着いた。閉ざされた扉を用意してあった鍵で開けて、足を踏み入れるが漆黒の闇。

”カチリっ”と、ライターが点された。

「慌てすぎですよ。プリンセス」
にこっと笑うサンジに、心が軽くなる。サンジの笑顔で浮き立つ心の意味を、ちらっと考えるが答えはなく。
どきどきと心が跳ねて、顔がほんのりと赤みを帯びる。サンジの笑顔に、慌てて、周囲を見渡す。
バルドー家の隠し部屋。先祖代々伝わる由緒ある品々の中に、幼い頃に、コレは何が入っているの?と、
バルドーに尋ねた際に、バルドーが珍しく慌てての手から取り上げた記憶にある、
金の装飾が施された小ぶりの箱が、眼に入った。

「あっ!これだと、思う。多分」

箱を小脇に抱え、何も言わずにサンジに手をあずけ、来た道を引き返す。
早く中身を確かめたいと思う心と、このまま時間が止まって欲しいと思う心が、の中に溢れていた。

「開けてみます」
ゆっくり蓋を開けて、中身を探る。中には茶色になった分厚い王家の蝋印のある封筒と、一個の指輪が収められていた。

取り出した封筒に書かれた文字と、過ぎた年月を思わせる茶色。
傍でを見守るサンジを、振り仰ぐの瞳に光るもの。
サンジの蒼眼が、やさしく力強く見守っていてくれることに、胸が震える。

震えの伝染した指先が、ゆっくりと、封を切る。


その手紙は、母王女からのものだった。

アンダルシア王国、第一皇女として生れ落ち、愛の醜さだけをみて育ち、流されるままに生かされてきた。
シャンクスと出会い、否定し続けてきた「愛情」というものを知った。
シャンクスとたった3日間の蜜月。たった一夜の蜜愛。
愛を知り、その愛ゆえに母であるフレイヤ王妃を捨てることが出来ず、シャンクスとの愛を心の糧として、
生涯、変わらぬ愛を胸に秘めたまま王国の姫として生きる決意をし、王国に残ったこと。
蜜愛の夜、宿った愛の証が、であること。シャンクスとの愛を、自分なりの形で貫き通すために、
バルドーを拒み続け、を守るために、バルドーの自分への愛を利用してしまった愚かさが綴られていた。


     自由に飛べる翼があったなら……。神だって……信じるのに。
     幾度、シャンクスを想い、涙したことでしょう。

     あなたがお腹にいると悟ったあの日。私は一人じゃないと気づいた日。
     とても嬉しかった。

     私は、あなたの父シャンクスと出会い愛し合った日々を、胸に抱き、
     お腹にいる愛の証、あなたの温もり、バルドーの庇護を受けて生きています。

     あなたはどんな顔のおちびさんなのかしら、
     シャンクスの赤い髪と、私の薄紫の瞳を受け継いでくれてるかしら。

     あなたを残していくかもしれない恐怖、
     でもね、、母は幸せなのですよ。

     あなたが、私のお腹を蹴るたびに込み上げる愛おしさ。
     隣でバルドーが見守ってくれる安心感。
     遠い海の何処かで、私を愛してくれているシャンクス。

     出来ることなら、あなたをこの手に抱きたい。
     生きて、あなたの成長を見守りたい。
     叶わぬ夢と知りながら、あなたといつかシャンクスに逢いに行きたい。

     この手紙を、バルドーに託し、先に逝くかもしれない母を許してくださいね。
     あなたを愛しています。いつまでも、愛しています。
     あなたを授かり、神を半分だけ信じ始めました。

     いつか、あなたが父シャンクスに巡りあえたなら、母が、

     私がシャンクスだけを、シャンクスだけを愛している事を伝えてください。



                  愛しいまだ見ぬ我が子、


                            母、


     願わくば、この手紙をあなたに見せないで済みますように、
     私の膝の上で、話してあげれますように。神に祈りを……。

     あなたは、私とシャンクスの愛の子。

     愛と勇気と誇りを持って、あなたが自分の意思で歩く事を、望む。


は、涙で滲んだかのように滲む文字、心情を写しとった乱れた筆跡に、母の想いを感じとる。

     私は、父シャンクスと母が、真剣に愛し合った愛の証。
     けっして、母の不義の結果などではなかった。
     私はこの母から生まれた事を、誇りに思う。
     生まれてきて良かった。
     産んでいただいて、ありがとう……お母様。

震える肩先指先から、祖母フレイヤ皇太后の呪縛が抜け落ちていく。大いなる母の愛に包まれ。


の両眼から、涙が溢れる。堪えきれない嗚咽。震える唇の端に嬉しさが滲む。

生まれてきてよかったのかと、自責を問い、何度流したのか分からない涙。
バルドーの別離の際に流した涙。夜のアラバスタで独り流した涙。朝焼けの船上でサンジの心配りに流した涙。
昨夜の自室での眠れぬ夜の涙。今朝の水の中に隠した涙。
たった17年の年月で、どれほどたくさんの悲しみを伴う涙を、流してきたのか。

今この瞬間に流れる涙の愛おしさ、母の愛を感じ流れる涙に、悲しみはなく。ただ嬉しかった。
愛され望まれて生まれてきた喜びが、の心を震わせる。

の涙にあっさりと、サンジは堕ちていく。
自制しろっと叫ぶ頭の声を蹴飛ばし、抱きしめてェと叫ぶ心の声に、従った。

抱き寄せたの身体が、震える。嗚咽をあげ、堪えきれない心の高ぶりをは綴る。

「さ、サンジ。私は、私は…父と母の愛を知らずに育ったけれど、見つけた。ここに、母の愛が詰まってた」
溢れる涙を拭おうともせず、一心にサンジを見つめ、続ける。

「私は、バルドーにも、愛されていたんだね。マリアだって、私を愛していてくれてるんだよね」

愛がどんなものなのか、周りに自分が気がつかなかっただけで、愛が溢れていたことに、やっとは気がついた。
祖母フレイヤ皇太后にも、自分に対する愛はあったんだとも、気がついた。愛の方向性を間違えていただけで。
幼く、拗ねていた自分の愚かさ、手を出せば、心を開けば、そこらじゅうに散らばっていた愛に、もっと早く
気がつくことができたのに。


「サンジ……。サンジも、私を愛していてくれる。
 やっと分かった、胸のもやもやする感情がなにか……私は、サンジ、私はサンジが好きだ。愛しています」

     藤の花の下での愛の告白を、あっさり「分からない」と、かわしたあの日のちゃん。
     やっと、手に入れることの出来た、愛しい俺のお姫さん。
     愛しているよ。浚っていきてェ……

「愛している」

愛しているの一言の重み、浚っていきてェの一言の重み、片方だけ唇から零し、片方は心の奥にのみこむように
繋がる心と触れ合う唇の熱さ。今、この時だけが全て。

日差しの傾きが徐々に変わり、ステンドグラス越しに、やわらかな光を届ける。
二人のひとつになった影が伸び、神の像に重なる。
神の祝福を受けたような神聖な静けさの中に、二人の熱だけが伝わっていった。



  


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